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土耕というのは、バラの木が直接大地に根付いて育っている状態である。

 

仕立て方(樹の育て方)まで話してしまうと複雑で文面では説明し辛いが、要は昔からある普通の栽培方法である。

 

長所はバラ1本がコンパクトで花自体が締まっていて確りしている。花保ちも良く、力強く展開する。樹の寿命も長い。肥料・設備コストも安い。

 

短所は花の頭が小さく、丈が長くならない。水耕と比べ本数が切れない。地面から生えているため作業性が悪く、剪定・定植・廃棄・古枝の処理・草取り等々の作業が中腰、もしくは膝を付いての作業となる。

 

大要を羅列してきたが、やはり特質すべき点は水揚げが良く、花保ちが良い点であろう。

 

一考すれば合点がいく、水と肥料を求め大地に根を大きく張っているのだ。水も土が乾くまでは撒いてもらえない。肥料も毎日の様に根元に与えてくれるわけではないのだ。

 

この「土の巻」において少量培地栽培と溶液土耕は土耕栽培に含めていない。

 

土というものを利用しているだけで土耕栽培とは懸け離れていると私は思うからだ。

 

スタジオジブリの名作「天空の城ラピュタ」の作中でヒロインのシータはこう言っている。

 

「ゴンドアの谷の歌にあるもの。『土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。』どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても土から離れては生きられないのよ。」

 

こういうことを合コンなどで言うと女の子に著しく引かれる。

 

でも、そんな軽蔑の眼差しを向けられるのも「何か・・いいなっ!」とも思う。

 

己の変態を露呈しながらも次回は水耕栽培について。



2007年11月29日(木)「 Get Up Tiger 」 

 朝の花切りを終え、朝食を済ませ歯磨きをしていると携帯電話が私を呼んだ。

 

 電話をしてきたのは千葉の同世代の花生産者であった。

 

 電話の内容は当日行われる会合のことであるが、会話の路線は暖房費や施設、流通や販売方針についてだが、決して明るい話題ではない所へずれ込んだ。

 

 今のジュニア世代(35歳以下くらい?)はバブル景気の花の高値など経験したことが無い。

 

 当時の花屋さんの物日の売上や、バラの一本単価を聞くと今の我が家のバラの単価が馬鹿馬鹿しくもなる。

 

 どの世代においても思い出話には花が咲くものだが、バブル時代の事など最早我々にとっては戦国絵巻のようなものだ。今更、武勇伝など聞かされても腹の足しにもならない。

 

 彼は「今が普通なんだよ。」と言った。

 

 小一時間くらい電話をしていただろうか、結局明るい話題へ戻す糸口もつかめず。

 

「また今度ゆっくり一杯やりたいね。」という小さな願いで会話を締め括った。

 

 「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな。まだ限界だなんて認めちゃいないさ。(中略)人はつじつまを合わす様に形にはまってく、誰の真似もすんな君は君でいい、生きる為のレシピなんてない、ないさ」

 

 Mr. Childrenの「終わりなき旅」という曲の歌詞だ。

 

 今は出口の無いトンネルの中ではない。頂が見えないほど高い壁の途中なのだ。

 

 お互い50代になったら「そんな時もあったなぁ」などと言いながら、笑って酒を酌み交わしたい。

 

 もちろんその時は金持ちになっているので温泉で芸者付きだ!(←思いつくことが既にオヤジだ・・・)

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