私は昔からテレビっ子だったせいであろうか?かなりの妄想家である。
出来もしない事に思いを膨らませ、思慮してみる。
バラにつく害虫という者は、つくづく馬鹿な奴らだ。
根絶やしにするまで、侵食、増殖を止めようとしない。
加減を己で見極めてバラに害を与えればいいものの、にわかに増え、全てを食い尽くす。
故に我々生産者は、農薬などの様々な手段を用いて、彼らを死に追いやる。
しかしながら、敵も然る者で、太古から生き永らえている生物だけあって全滅はしない。
人も知恵を絞り、新たな駆除方法を編み出す。それでも彼らは抵抗力をつけ、また増えていく。
これではイタチごっこだ。
「ここからそこまでは食べていいですよ。でもこっちからは増えないでね。」
「OK!その代わり確りバラを育てて、薬等も我等の領地には飛散しないように気をつけてね。」
などと、虫と協定を結べれば、良いバラも出来、農薬もいらない。彼らも生命を次代に繋げる事が出来る。
人はどうであろう?
「地球」という一本の樹に、根から葉先に至るまで増殖し、今まさに枯れ倒す程駆逐してはいないだろうか?
もしかしたら、数々起こる天災や蔓延する病気は、樹を守る「神」という名の生産者が人を樹から排除する為の手段なのかもしれない。
無神論者の私が「神」を口にするのは甚だ馬鹿げているが、自然の驚異と偉大さを目の当たりに、それを「神の仕業」と頭をよぎる時がある。
仮に虫と会話が出来たら、彼らの第一声はなんであろう?
「ここのバラはいまいちだなぁ。」
うん♪皆殺し(^o^)丿
2008年5月12日(月)「 怒りの矛先 」
先日、mixiで知り合いのお花屋さんの日記を読んでいると、こんな様な事が書かれていた。
「母の日前には市場に溢れている花の品質が低下する。お客様の誠意を無駄にしてしまわぬ様、細心の注意を払わなければならない。」
物日と呼ばれる大型需要期は年に数回しかない。
他業種であれば、ゴールデンウィークやクリスマス、バレンタインデーなどに商戦を合わすのは当然のことであろう。
しかし、「保存」ということが出来ない生花であっても、物日に大量出荷をしてしまうためか、純粋に気候的な影響で品質が落ちるのか、お花屋さんの目は誤魔化せない。
前者を消費側から見れば「悪意」に思われるだろうか?
最近頻発する「偽装」にあたってしまうのであろうか?
生産者にも言いたい言い訳はあるだろう。
激増するコスト、病害虫への恐怖、異常気象、年々低下する単価、買い手市場の価格。
しかし、その言い訳を簡単にねじ伏せることが出来ることがある。
大切な人へ贈った花がもたらした、大きな失望と怒りであろう。
「不」の念はいとも簡単に感染し、人々を悲しみの螺旋に突き落とす。
消費者が味わった、失望と怒りが、私たち生産者を蝕み、苦しめるのは明らかであろう。
ストレスの発散方法に「昇華」と呼ばれるものがある。
分かりやすく言うと、体を動かしたり、声を出したりすることで、マイナスの力を原動力にして有効活用しようとすることであろう。