若い祖父を興味津々で見ていると、祖父が牛で田んぼを耕している写真があった。
今現在、我が家には水田はなく、田んぼの跡地に40年位前から父が温室を建てだした。
最近、我が家の温室の周辺にある田んぼが、次々と宅地になってゆく。
一体、どこにそんなに人間がいるのかは分からないが、祖父の写真では一面田園風景だったのに、今や住宅展示場の様だ。
農家の高齢化も進み、担い手もいないのだろう。
減反政策など無くても、放っておいても農業は徐々に衰退していくだろう。
私には想像も出来ないが、先祖代々受け継がれ、一族を養ってきた田畑が重機で潰されていくのを見ているのは、一体どんな気分だろう?
バラの温室を建てる時に、父はやる気に満ちていただろうが、祖父はどう思っただろう?
試しに聞いてみても、寡黙な祖父は何も言わないかもしれない。
物心付いた頃からバラの温室があって当然の私には、祖父の心内など計り知ることは出来ない。
新たに定植した品種「オレンジジュース!」の手入れをしながら、育ってゆく住宅を目にする。
「せめて我が家の土地だけは守っていきたいなぁ」と、ふと思う。
因みに私のデビルスマイルは幼少からのものでした。
2008年4月2日(水)「 home & away 」
昨日、アメリカのシアトルに遊学中の旧友が一時帰国をするというので、ノリで中部国際空港「セントレア」に迎えに行った。
午後8時到着の便であったが、待てど暮らせど一向に到着ロビーに姿を現さない。
午後10時を回った頃であろうか、桜前線も真っ青のピンク色のスウェットで現れた彼女は、こちらを見るなり捲し立てて身に降りかかった出来事を語ってくれた。
先ずは、搭乗した航空会社の接客態度の悪さ、そして切れたスーツケースベルトへの航空会社の対応の悪さ、勝気な彼女はそこで一もめ、二もめあったらしい。
その最中に麻薬犬に反応され、検査、尋問。
やっと再開することが出来た彼女は、喉の渇きを潤す為にスポーツ飲料を喇叭でがぶ飲み。
「お前はアクアクララかっ!?」とツッコミを入れたくなるくらいの飲みっぷりだった。
日を同じくして、私の2つ年下の妹が東京から久しぶりに帰郷した。
彼女も長いこと東京の医大に看護士として勤めているが、この度沖縄の系列病院に依願移動になったらしい。その間の僅かな休暇を利用して帰省したようだ。
地方での過疎化が叫ばれるが、夢や仕事を求める若者が都市部や県外、はたまた国外に旅立つのに私は大いに賛成だ。
衰退や淘汰も決して悪いことばかりではない。と私は思う。
しかし、根無し草にはなって欲しくない。
如何に枝が長く伸びようとも、大きな葉を茂らせようとも、根の無い植物は長くもたない。
地元の家族や友人、山河を心のより所として、大きな世界で活躍してもらいたいものだ。
彼女達が根を張れる土壌を、私達地元に残る者が耕していきたい。
いつ彼女達が心の休息を取りに戻ってもいいように。
その時はお土産を必ず忘れないようにしてもらいたい。でかいのがいいんだ。