コンタクトレンズをしている訳でもないのに、日々ドライアイに苦しめられ、外出時はリップクリームを欠かさない。
12月に入り「イリオス!」の納品を待たず、「ティネケ」を扱いでしまった。
3日の水曜日に、新苗が到着したので、家族総出で定植してしまった。
水耕栽培の改植は、土耕に比べ非常に楽で、50坪程の改植は、男2人いれば2日を必要としない。
まだ青々とした木の根元に、感謝と共に剪定鋏を入れ、荒縄で纏めて室外へ運び出す。
捨てられるのを拒むかの様に絡みつくトゲなど、一切意に介さない。
1週間ほど前から施肥を止めてしまえば、ロックウールは水気を失い、とても軽くなる。
ところが、今回は天候不順が数日あった為、ロックウールがまだ水分を含んでいて、かなり重く、持ち上げようとすると、自重で千切れてしまう。
そうであっても、堀木家の男子たるもの一度手を付けた仕事は、重かろうが濡れようがやり遂げる。
やり遂げた後の手と足元は、ロックウールから染み出した水でびしょ濡れのしわしわだ。
これで少しは私も潤っただろうか。
2008年12月1日(月)「 幾星霜 」
先週、東京に住む祖父の弟が、奥様を連れて里帰りをされた。
それに伴って、長野県伊那市に住む祖父の弟も、奥様を連れて我が家に遊びに来た。
元々、男ばかりの五人兄弟であったが、祖父は弟二人に先立たれ、今は三人兄弟となった。
年に一回は、国内に散った「堀木」が、生家に戻り宴となる。
最年少の東京に住むおじさんは、電気製造業をしていた為に、機械に強く、最近秋葉原で買ったという一眼レフのデジタルカメラの性能を私に自慢してくれた。
彼らの幼少の頃は、カメラは写真館にしかなかったという。
車もなく、電話はその地区のお金持ちの家にしかなかったという。
祖父の年代ほど、激動の日本を見てきた人はいないであろう。
人の家に電話を借りに行って、交換手に電話を繋いで貰っていた時代から、掌に納まりテレビも写真も撮れる携帯電話が小学生にまでも普及している。
車はまだ空を飛ばないが、なかなかの未来絵図ではある。
我が家の「イリオス!」も少し理想の姿に変貌する。
今まで、土耕栽培をしていた為、サイズが30cm~60cmしか切れなかったが、来年から水耕栽培をする事にした。
「イリオス!」を愛玩して頂いているお花屋さんから、丈の長いものが欲しい。と言う要望を叶える為である。
元々、花保ちがいい品種なので、水耕にしても花保ちはいいだろう。丈も10cmは長くなると思う。
S(40cm)サイズが中心であったが、M(50cm)中心で出荷できるであろう。
暫らくお休みさせて頂くが、また花保ちが良く、縁が淡く白みがかった明るい黄色をご愛顧頂ければと思う。
「今年が最後かもしれない。」と周りが引きつり笑うしか出来なくなる様な、年寄り特有のブラックジョークを飛ばしながら、楽しそうに酒を酌み交わす。
そんな祖父兄弟を見ると、微笑ましく、家族の大切さをしみじみ感じる。
「堀木の悪ガキ5兄弟」は当時でも有名だったそうだ。
私にも悪ガキの血は脈々と受け継がれている。