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 バラを扱いだり剪定作業は重労働の為、男2人で行う。

 

 父のバラ屋歴37年。私は5年。

 

 父の年齢58歳。私は28歳。

 

 キャリアは7倍だが年齢は私が半分である。

 

 ところが一緒に仕事をやっていると、重労働に関わらず同等の速さで仕事をする。

 

 これが私には悔しくてたまらない。

 

 昨年などは大差で負けていた。

 

 今年は若干、私の方が早く進み、余裕ヅラで振り返ると、父が抜いた株の根っこの方が綺麗に抜けている。

 

 このドチクショーッ!!

 

 仕事は迅速性を重視し、「スピードスター」の異名を誇るこの私が、還暦間近のおっさんに勝てないのだ。

 

 家族の誰も気付かないが、内面は、はらわたが煮えくり返ってしょうがない。

 

 もう汗なのか涙なのかわからないくらい私の顔は赤面し、ぐしょぐしょである。

 

 怨み晴らさで措くべきかっ!

 

 これから始まる怒涛の選定作業において、目に物見せてやる。

 

 私の執念と遺恨は腹の底で渦巻き、力を与えてくれる。

 

 そんな私に、蛇も舌を巻く。

 

 そして私も二枚舌。


2008年12月25日(木)「 Chelsea 」 

 私は酒飲みだが、甘い物も好きである。

 

 特に疲れた時や朝や食事を腹一杯食べた後のデザートは最高である。

 

 以前にもブログに記したが、12月でブライダルピンクの栽培をやめる事になった。

 

 市場性を考えても前時代的であるし、我が家の品種全体を見ても少し雰囲気が違う。

 

 土耕栽培でブライダルピンクを始めて10年。

 

 老化し樹木と化した株元には、カイガラムシが蔓延っている。

 

 父と2人、スコップで掘り起こす。

 

 特に会話もなく黙々と。

 

 21日の日曜日にブライダルピンクの最後の出荷を迎えた。

 

 私は最後のLサイズ50本を箱に詰める時、「お世話になりました。」と囁いた。

 

 10年前といえば、私はまだ高校生であった。

 

 妹たちも学生で、愛犬のリヴは我が家に来たばかりで、スリッパくらいの大きさだった。

 

 私は10年間のほほんと生きてしまったが、ブライダルピンクは毎日、毎日花を咲かせ、我が家の糧となり私たち兄弟を育ててくれた。

 

 バラ屋に就農し、何品種ものバラを育ててはやめてきたが、これ程強く感傷に晒された事はない。

 

 夏場にゴミ同然の価格がついたこともある。

 

一週間に数千本も注文が入り、小躍りしたこともある。

 

 堀木園芸のブライダルピンクに、もう逢うことは出来ないが、誰に何と言われようが、可憐に咲いた明るいピンク色の彼女は間違いなく銘花である。

 

 沢山の「ありがとう」の気持ちが溢れてくる。

 

 私がバラ農家であり続ける限り、ブライダルピンクはとても美しいバラだったと後世にも伝えていきたい。

 

 ほんのりセンチメンタルなった時にも、甘いものがいい。

 

 明治製菓の「チェルシー」もブライダルピンク同様、何年も愛されるスウィーツである。

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