「泣いた?泣いた?」
彼は
「自分の子供が生まれたのは当然嬉しいんだけど、みんなが一緒に喜んでくれるのが、本当に嬉しい。」
と答えた。
私はこの日を境に、彼と人間としての大きな差が開いてしまったことに気が付いた。
彼の娘がこの世に生を受けた瞬間。彼は父親となり男としての新たなステージへとステップアップしたのだ。
今の私には、彼が述べたような殊勝な一言など、とても思いつかないであろう。
先日、折り曲げた「ジプシーキュリオーサ」に力強く新芽が吹き出してきた。
その芽は、赤く燃えるように命の焔を伸ばしている。
朱に染まる筋は、まるで轍のようである。
時は降り積もるように過去になり、良くも悪くも無情な程に未来が押し寄せて来る。
生命は決して絶えることなく、次へ、また次へと繰り返される。
友人の娘とバラと春に回り続ける車輪のような輪廻を教えられた。
彼女が大きく成長し、美しい花の様な女性になるのが楽しみだ。
その時には私も東方随一のバラの生産者になっていよう。
そして合コンを組んでもらおう。
2008年4月23日(水)「 惜別を 焦がし刻むる 花明かり 」
実の所、私はバラ以上に好きな花がある。
それは「木」だ。業界用語で言うところの「枝物」と呼ばれる花達である。
通年出回るバラと違い、路地物の枝物はその存在に四季の移り変わりを感じることが出来る。
桜、花水木、雪柳などの花を付けるものから、満天星(どうだんつつじ)や馬酔木(あせび)などの葉が美しいものも好きである。
人の家の庭に私の知らない木が花を付けていると、思わず名前を聞いてしまうこともある。
もちろん、路地バラや鉢物のバラは一期咲きであれば5、6月頃に、返り咲きであればまた秋口に花を咲かせ、季節の移り変わりを色鮮やかに告げてくれる。
しかし、切バラ農家は温室の中に、常にバラを開花させるベストコンディションを提供し、安定して消費者にバラを供給するのが務めである。
そんな重大なバラ屋の仕事と信用を失墜させるように、最近めっきりお休み気味の「イリオス!」「ザ・プリンス」「イントゥリーグ」「パパメイアン」「ロマンティックキュリオーサ」
彼女達もようやく少しずつ出荷できうる体制に戻ってきた。
ゴールデンウィーク迫り、不況風が薫る中の復活には若干の畏怖を感じるが、致し方なかろう。