これも偏に、両親や家族のお陰である。
もう一人(?)私の成長に欠かせない存在が牛である。
私は本当に母乳より牛乳で育ったといっても過言ではない。
朝は流石に飲めなかったが、給食では毎回牛乳ビン2本、学校から帰ってからは、毎日1リットル近く飲んでいた。
家族と牛の愛に育まれ、心身ともにすくすく成長したのである。
まさにホルスタイン様様である。
はっ!!
まさかっ!私の巨乳好きも「刷り込み」なのかっ!?!
まったく生物の本能には心底、驚嘆させられる。
2008年7月17日(木)「 絶対に出ないんで、諦めて下さい。 」
古代の中国では虹は龍だと思われていたらしい。
天候が不安定になるこの頃は、にわか雨の後の龍をちらほらと目撃する。
「草臥れる」という言葉をご存知であろうか?
「くたびれる」とは、文字の通り草の上に倒れ臥せている様子が、あたかも疲れ果てている状態を想像できる。
目標や目的というものは、普段の生活においても大なり小なり必要であろう。
しかし、目標の為に費やした時間や、その心持が大きいものであればあるほど、時として大きな失望感に襲われる。
また立ち直り、再度同じ目標に取り組むか、もう諦めてしまうか。人により、目標により様々であろうが、まず感じるのが「草臥れた」感ではないだろうか?
何もかもが嫌になり、疲れ果てて、頭の中が真っ白に成ってしまった時、草臥れてしまってはどうであろう。
いっそ打ち伏せて草の上に寝転がってみる。
風になびいて揺れる草木、遠くから微かに聞こえる水の音と鳥の声、時間と共に色合いを変える雄大な山々。
都会にはそんなものはないであろうが、空と雲と太陽と月くらいは世界中どこへ行ってもあるだろう。
朝焼けの白む空に残された淡い白月、突き抜けるような丸く深い空と、雲の隙間からこぼれる光の梯子、茜空に世界を染める空と雲、雨上がりに現れる七色の龍。
無償で寛大な風景を目の当たりにすると、よもや私という小さな人間のエゴにも近い失望感など、どうでも良くなってくる。
何故に自然は、こんなにも美しく天井知らずな愛を人に与えてくれるのであろう?
また起き上がれば、腹も減るし、喉も渇く、仕事も気になるし、人とも話したくなる。ビールも・・・うん!飲みたい!
とは言え、完璧にノックダウンされている私のお昼寝は、どんな重要人物からの電話も一切出ない。
また、希望に燃えて起きるのを少々お待ち下さい。