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2009年12月28日(月)

「 原点回帰 


 世の中は、どんどん便利になるもので、知れば知るほど、人間の願いは叶えられている。

 

 ラジオが好きな私は、以前からパソコンをしながらラジオが聞けないかと思っていたら、インターネットラジオというものが存在し、オンラインでラジオ番組が楽しめる。

 

 音楽というのは、自らの趣味趣向が色濃く出る為、何分偏りがちであるが、ラジオであると普段触れることのない音楽と知り合う事ができる。

 

 私は普段、ロックやパンク中心であるが、此処の所、毎朝のメールチェック時はクラシックを聞いている。

 

 楽曲名が複雑だったりするので、あまり曲名や作曲家は覚えられないが、バイオリンやピアノなど様々な楽器の音色が、朝の空気を濃くしてくれる様な気になる。

 

 年の瀬になり、追われる様に改植作業に明け暮れる日々が続いた。

 

 早朝は−8℃を記録する信州であるが、日の当たる温室での改植作業は、濡れたタオルを絞るように、全身から汗が吹き出る。

 

 今まで世話になったバラを根元から切り、潅水チューブを根元から取り、ロックウールマットごとバラの根をベンチから抜き取る。

 

 ベンチを洗浄し、新しい防根シートを敷き、新しいロックウールマットを水に漬ける。

 

 マットに苗を定植し、潅水チューブを根元に刺し、床を掃除する。

 

 体力的にきつい割には、文字に起してしまうと、地味な作業である。

 

 この後は、新芽の成長を待ち、先ずは株をしっかり育てて、花芽を付けるまで7ヶ月。

 

 成長を待っては、手入れをし、病気や害虫の等の侵略を妨げる。

 

 クラシックリスナーとしては、初心者と言われてしまうかもしれないが、私はフランスの作曲家モーリス・ラヴェルが作った「ボレロ」が好きだ。

 

 ただひたすらスネアドラムのリズムが続き、徐々にフルートやクラリネットが色合いを足していく。

 

 単調とも思えるリズムは、長く続く毎に様々な一面を見せ、次第に荘厳さを増して感動的なクライマックスを与えてくれる。

 

 「バラ」という一見響きの良い職種ではあるが、他の農業同様、普段は地道な作業の繰り返しである。

 

 しかし、まだ爪楊枝の先ほどしかない新芽が、最終的には美しい花を咲かせ、誰かの日常をささやかに彩る。

 

 「ボレロ」と「バラ農家」に共通点を感じるのは、私だけであろうか?

 

 朝食後にパソコンの画面に向かい、自分で入れたコーヒーを飲みながら、クラシックを聞く。

 

 セレブの様だが、寝癖で頭は爆発、二日酔いで顔はパンパン。

 

 このギャップがたまらない。














スィンティロマ




2009年12月24日(木)

「 そしてまた朝鳥は 旭光を目指し 東の山を越える 


人の宗教観や信仰を否定するわけではないが、私は「神」というものを信じない。

 

 それは、彼らが本当にいるとすれば、あまりにも無力で、無慈悲だからだ。

 

 とてもではないが、拝み奉る気になれない。

 

 そうであっても、日本の神道である「八百万の神」という考え方は好きである。

 

 「八百万」とは無限という意味であるが、日本には山にも大木にも大河にも厠にも神がいて、短気だったり、嫉妬深かったりする。

 

 親しみ易い神様が、そこ此処にいて、他国の神様も同様に大切に扱う。

 

 多神教の我が国には、キリストもアラーも貧乏神も死神も同格の偉大な神様なのである。

 

 年の瀬となると、年内最後の仕事が立て込んでくる。

 

 忘年会やらクリスマスパーチーやらせわしない。

 

 今年は皆さんにとって良い年であったであろうか?

 

 いい年であっても悪い年であっても、八百万の神が住まう日本に住んでいれば、神様が一人しかいない国より幸せになるチャンスが多いはずだ。

 

 キリストの誕生日などいざ知らず、電飾と物品と雰囲気だけが、町を賑わしているが、ちょっとでも浮かれ気分になれれば、キリストさんの思し召しではないだろうか。

 

 普段は神など信じない私であるが、なんだかちょっとあやかりたい気分である。

 

 それでは皆様、Merry Christmas






2009年12月17日(木)

「 Make  me  mad 













 人類が文明を手に入れて、もう長らく経つが、人間が生物である限り、多少なりとも野生を残している筈だ。

 

 安全、安心な空間にいると、つい忘れてしまいがちな野生であるが、人にはそれぞれ他者に踏み入れられたくない領域が有り、それを「パーソナルスペース(個人空間)」という。

 

 現代人は何かと、スキンシップやコミュニケーションを取りたがる。

 

 私も人と話したりするのは、やぶさかではないが、心を許していない他者に対して、大きく「パーソナルスペース」を必要とする。

 

 孤狼の様な野生を隠し持つ私には、見知らぬ人との交流は基より、他者に触れられる事など、大嫌いである。

 

 バラの栽培は難しいというのが、一般的な意見ではないだろうか?

 

 というのも、害虫が付きやすく、病気に成りやすいからである。

 

 アブラ虫、コガネ虫、スリップス、タバコ蛾、夜盗、ハダニ、灰カビ病、黒星病、ベト病、根頭がんしゅ病等等、細かいものまで数え上げたらきりがない。

 

 中でも、一番頻繁に起こり易い病気といえば、ウドンコ病ではないだろうか。

 

 他の病気は、ある程度防げるが、ウドンコ病の場合、一度低温高湿度、高温低湿度が繰り返される状況になれば、その後晴天が続いても、発病してしまう。

 

 葉や蕾の首に、白い綿ボコリの様なものが、現れる前に消毒してしまうのが、有効である。

 

 農薬散布は、噴霧ノズルを使って、発生箇所やその周囲、または温室全域に渡り人間が散布する。

 

 この時、人は後ろ向きに進む事になる。

 

 何故なら、前進しながら散布すれば、自ら撒いた農薬の霧の中に突進していく事になるからだ。

 

 後進しながら、前方のバラの葉を観察し、被害が出ている所などには、入念に散布する。

 

 真剣に散布しながら、後ずさりしていると、上部のワイヤーやらパイプ等の様々な物が、後頭部にぶつかる。

 

 それもしばしば。

 

 「ガン!」「ばい〜ん!」と人を小馬鹿にした音を立て、定期的に殴りつけてくるのだ。

 

 バラを想い、「パーソナルスペース」を重んじる私に対して、侮辱にも値する仕打ち!

 

 「ぶったね! 父さんにもぶたれた事ないのに!」とノズルを振り回して、発狂したくなる。



2009年12月13日(日)

「 毎朝の日課 


私は毎朝の朝食後30分に渡り、歯を磨く。

 

 新聞を読んだり、テレビのニュースを見たり、パソコンのメールチェックをしながらだ。

 

 一日一回しか磨かないので、30分は長いように感じるが、3で割れば普通である。

 

 先日、歯科検診を受診したが、歯垢、歯石もなく、歯茎も健康だと太鼓判を押された。

 

 二十四節気では「大雪」を向かえ、アルプスは神々しい程、山並み白く美しい。

 

 こう寒いと、バラもあまり咲かなくなってくる。

 

 繁忙期であれば、ほぼ1日半を費やす、選花作業と箱詰めもすぐに終わってしまうので、温室に入る時間が増えてくる。

 

 バラにとっても、私にとっても、とても良い事である。

 

 バラ農家の手入れの手順における優先性は次の通りである。

 

@     格外品や葉っぱを充実させる為の枝折。

A     脇芽取り。

B     枯れ枝取り。

C     落ち葉履き、草取り。

 

 B、Cの工程は、バラの生育に直接関係する所ではないので、忙しい時は後回しにすることが多い。

 

 この時期は、枯れ枝をバラの木からせっせと切り取り、温室の外へ運び出す。

 

 まぁ、年末の大掃除にも似たような光景であるが、茶色の部分が無くなったバラは、心なしか清々しい顔をしている。

 

 枯れて硬質化した枝に触れる作業は、棘も刺さるし、ホコリも出るのでなかなか七面倒臭い。

 

 ところが黙々と無心で作業をして、いつの間にやら時間が過ぎ、バラ達も整然とされているのを見ると、こちらの心まで清々しくなる。

 

 お掃除には、心も掃除する作業があるようだ。

 

 温室も心もピカピカ。

 

 毎朝、音波歯ブラシで丹念に磨く、私の歯もピカピカ。

 

 益々、私という人間に磨きがかかってしまう。









2009年12月6日(日)

「 あったか〜い 











 私は自分がどれ程の者でもない割に、人に難癖をつける所がある。

 

 テレビを見ていて、大してかわいくもない女優や薄ら気持ち悪いイケメンタレントが、ちやほやされているのを見ると、我慢ならず舌好調になってしまう。

 

 特に「アイドル」というものが理解不可能で、7割がたの「アイドル」に「え?アレのどこがいいの?」等と、私の貧相な脳みその中にはてなマークが乱立してしまう。

 

 そんな私でも、「山口百恵」の引退シーンには感嘆してしまった。

 

 多くのファンに惜しまれながら、散り際美しく白いマイクを置く姿は、春に舞う桜、秋に散る紅葉を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 

 師走に入り、信州の冬は益々寒く、野菜の収穫が盛んになり、それはまた徐々に漬物に姿を変える。

 

風景は次第にモノトーンに染まってゆく。

 

我が家の温室も冬支度を完璧にして、厳寒期に備え、バラを温かく包む。

 

温室の外のガラスの周りには、空気の層を多少入れたビニールの幕を覆い、隙間風の遮断や断熱効果を高める。

 

温室の中は側面を断熱効果高い2層カーテンで締め切り、カーテンの切れ目から冷気が入って来ない様に、シルバーシートで覆う。

 

まるで温室が着膨れていく様だ。

 

温室への出入りは厄介だが、車のガラスが前面結氷する様な朝にも、温かい温室の中で、バラが咲いている姿は、何故か心休まる。

 

そんな訳で、温室の中は昼夜問わず過ごし易いが、温室外での作業は、人間の厚着も強いられる。

 

最近、巷で噂の高機能保温効果があるインナーを購入してみた。

 

見た目は「股引」だが、かなり暖かくて、普段「厚着をしては、信州武士の名折れ」と寒さに耐えていた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。

 

程好く汗をかくくらい温かいインナーのお陰で、気分良く仕事が出来て、帰宅する。

 

風呂に入ろうと、服を脱いでいると、鏡に写る怪しい人物が・・・・。

 

黒い股引、黒い靴下、上半身は裸・・・・。

 

「江頭250

 

黒いタイツをそっと床に置き、着用を引退しようと、決意した。



2009年12月2日(水)

「 Traveling without moving 


 「時間旅行」といえば、人類の大いなる夢の一つであるが、小旅行程度であれば、人は皆タイムトラベルをしている。

 

 歩いて15分かかる目的地に、タクシーに乗り5分で行けば、歩いて行くより10分未来に行ったことになる。

 

 意外と簡単に未来へ行くことは出来るが、その代償として「タクシー代」が掛かる。

 

 これとは逆に、幸福や楽しい思いをしている時に、時間が早く進んでいる様に思えるのは、幸せの代償に「時間」を支払っているともいえる。

 

 毎年の作業ではあるが、土耕栽培品種の剪定の時期が迫ってきた。

 

 休眠する品種は「ワンダーウォール」「バイアモーメント」「イントゥリーグ」「ザ プリンス」「レディ チャペル」である。

 

 12月中旬から順次剪定作業に入る。

 

 復帰は品種によってばらつきはあるが、三月上旬から下旬になるだろう。

 

 詳細は「NEWS」のページに記載しておくので、ご覧になって頂きたい。

 

 時間とは常に同一方向に一定の速度で流れているように思える。

 

 しかし、それを受け止める私たちの意識によって、如何様にでも時間の速さは変えることが出来る。

 

 時間軸とは短針と長針の中ではなく、自分の中にあるのだ。

 

 3月には、休眠を経て、また元気に花を咲かす彼女達をお待ち頂きたい。

 

 3ヶ月のお休みも、意識の変化で僅か数日に思えないだろうか?

 

 まぁ、それ程長い期間が短く感じれば、記憶喪失としか言いようが無いが・・。

 

 人には偉そうに講釈をたれておきながら、私自身は居酒屋でビールがすぐ出てこないだけで、腹を立ててしまう。

 

 「自分勝手」ではない、「天真爛漫」と呼んで頂こう。










2009年11月24日(火)

「 ちょ〜〜かわいぃ〜 












 「一目惚れ」というのを体験した事はあるだろうか?

 

 聞きかじりなのだが、「一目惚れ」で選んだ人や物は、その後も相性がいいらしい。

 

 反応したのは遺伝子なのか、第六感なのか、無意識に気持ちが高揚したのであれば、それは理性でなく本能が求めているからではないだろうか?

 

 山々は紅葉を上から押し潰す様に、徐々に山頂から白くなって行く。

 

 毎年、年末に行われている、改植作業の時期がやって来る。

 

 今年の引退品種は「パパメイアン」である。

 

 艶のある赤黒い花弁、可憐な咲き方、人々を魅了する芳醇な強香と、どれをとっても銘花の名に相応しいバラである。

 

 しかし、私の営業努力と父の栽培技術の不徳と致す所なのか、営利栽培をしていくには困難であった。

 

 それでも私は「パパメイアン」が好きである。

 

 「高貴」を形に表した様な姿が、とても美しく、一本飾っただけでも、周囲の空間の雰囲気を変える。

 

 先日の広島の「日バラ」全国大会の際に、前橋市でバラを作られている角田さんと、「パパメイアン」の素晴らしい談義で盛り上がってしまった。

 

 角田さんは、我が家よりは遅く「パパメイアン」を栽培し始めたが、我が家が栽培中止する事を告げると、角田さんはこう言ってくれた。

 

 「採算がとれなくても、私は作り続けます。それが、私がバラ生産者である事の義務な様な気がするから。」

 

 この世には、本当に後世に伝えていきたい美しいバラがたくさんあり、それを採算度外視で作り続ける生産者がいる。

 

 そういう生産者を守ってあげて欲しいものである。

 

 きっと私が一目惚れした以上に、角田さんの方が惚れているのだろう。

 

 惚れっぽい私は、また新たな一目惚れを心待ちにしよう。

 

 広島会議の後、世田谷花きの金子さん、長野の保科君、静岡の後藤君と訪れた居酒屋で、私は超美人の店員さんに一目惚れ!

 

 テンション上がりまくりだったが、声をかける度胸もないので、はしゃぐだけ。

 

仕舞いには店員さんはバイトが終わり帰宅してしまった。

 

 夜の広島の雨は、冷たく私に降り注いだ。



2009年11月20日(金)

「 見つめたい 


 「チラリズム」とは辞書にも載っていない言葉だが、俗語としては広く知れ渡っている気がする。

 

 ご存知の無い方はいるだろうか?

 

 簡単に言ってしまえば、異性の魅力は「ちらり」と見えた方がよりセクシーに見えるということだ。

 

 すっぽんぽんより、うなじや裾から見える足の方が、ドキドキするというものだ。

 

 広島で行われた「日バラ全国大会」には副題がついている。

 

 「広島のバラを丸裸」である。

 

 その名の通り、1日目では主だった生産者の栽培手法や販売方針を議場で発表された。

 

 2日目の圃場見学の際には200人近い、バラ作りのプロが温室に足を踏み入れる。

 

 私にお鉢が回ってくれば、断るか仮病を用いたいくらいだ。

 

 そうであっても広島の生産者は、臆することも無く、自慢の温室を披露する。

 

 それもその筈である、ヒートポンプ、パット&ファン、加湿機、除湿機、炭酸ガス発生、ナトリウムランプと高価な資材の数々がバラを囲む。

 

 育種家の今井バラ園では、他社の新品種はもちろん、バリエーション豊かなオリジナルが、咲き競うように温室を彩っている。

 

 京華園・神田さんの温室は、品種も多彩だが、なんと言っても太くしなやかな大輪のバラが竹林の用に咲いている。

 

 そして栽培されるバラは、確実なマーケティングや立地を生かした土壌の元に生産されている。

 

 私を含め、何人の生産者が、自身を失っただろう。

 

 生産者としてあそこまで「ナイスバディ」なら、丸裸にされても仁王立ち出来るというものだ。

 

 我が家の経営体制をあれ程、赤裸々に発表できないが、温泉に行った時の私はタオル等で裸を隠さない。

 

 だって、隠した方がセクシーみたいで気持ち悪いじゃん。









2009年11月20日(金)

「 たとえ死んでも 














 私は行きつけの服屋というものが無い。

 

それに洋服屋の店員と心を通わせることは、難しいと日々思っているからだ。

 

たまたま立ち寄れば、べったりと張り付かれ、何か尋ねたい時は、他の客についている。

 

先週、「日本バラ切花協会」の全国大会が、広島県で行われた。

 

長野から遠路はるばる車で7時間。

 

瀬戸内海に面して、栄えた港町に辿り着いた。

 

本当は間近で見たかった「原爆ドーム」と「広島城」を尻目に会場入りした。

 

会場には、様々なバラ栽培の機材と国内外の新品種が所狭しと並べられている。

 

 品種展示会で私はいつも思うのだが、正直、どのバラもかわいい。

 

 生産、流通、販売と金銭的な縛りが外れれば、様々な癖や採算性など気にならない。

 

 百花斉放の会場を見ていると、バラの向こう側にお花屋さんの顔が浮かぶ。

 

 我が家のお得意様が好きそうな品種があると、栽培してみたいと思う。

 

 ところが、もう既に大手の産地が栽培に踏み切っていたり、明らかに病気に弱そうな品種だったりすると、二の足を踏んでしまう。

 

 好みのバラがあっても、それだけでは栽培できない。

 

 生産性や市場性、我が家のバラに求められているスタイルの兼ね合いに縛られる。

 

 服屋で目ぼしい物を発見し、手にとって見ていると、

「それ今流行ってるんですよぉ。実は僕も色違い持ってるんです。」などと言う店員さんがいる。

 

 「何で俺が、流行アイテムなんかに流されにゃならんのよ! つか、お前とペアルックなんて死んでもせんわ!!」

 

 と暴言も吐けないので、薄ら笑いを顔面に垂れ流し、「へ〜」と気のない相槌を打つ。

 

 物を選ぶという事は、本当に難しい。

2009年11月18日(水)

「 小悪魔ちゃん 


 「寝る子は育つ」というが、常に人としての成長を止める事を知らない私は良く寝る。

 

 よく寝るというか、寝着きがすこぶる早い。

 

 「眠れない」といった状況になったことがなく、「のび太」「まる子」「たくや」の順位で眠りに落ちる。

 

 うとうとするタイミングとは、一時体温が上がり、その後緩やかな下降線を描く時に、眠りに着きやすいという。

 

 普段から体温の高い私が、眠りに着きやすいのも合点がいく。

 

 この時期になると、既に我が家の温室は90%程冬支度を終えている。

 

 4時過ぎには暖房機が稼動しだし、翌朝8時まで加温している。

 

 我が家で使用している暖房機には3種類ある。

 

 一つは何度も記しているが、「ヒートポンプ(エアコン)」で、それ以外の2つは重油を利用した「温風機」と「温湯機」である。

 

 「温風機」は灯油ヒーターの重油版と考えて頂ければ、解りやすいだろう。

 

 ただ、排出口にダクトと呼ばれるビニールの筒を取り付けて、四方八方へ温風を飛ばし、温室内の空気を循環させる。

 

 「温湯機」はセントラルヒーティングの重油版であり、温室の壁面、床面にパイプを這わせて、熱湯を移動させる。

 

 「温風機」に比べ施設コストは著しく高いが、温室内の温度むら少なく、温度が安定している。

 

 私としては、無音で稼動する「温湯機」のが好きであるが、我が家にある「温湯機」もバブルの遺産とも呼べる程高価なものである。

 

 一回に2キロリットルの重油タンクを4つ満タンにして、毎夜バラを暖める。

 

 一月に2回も8キロリットルを燃やしていれば、大層贅沢なバラが育つわけだ。

 

 朝、温かいベッドを抜け出し、寒風の中、身を縮めて温室に入ると、20度設定の温室と美しいバラが迎えてくれる。

 

 「睡魔に襲われる」というが、私を襲う「睡魔」はかなり近い所に常時待機している様だ。

 

 温室の中にまで付いてくる「睡魔」しつこく私を誘惑する。

 

 寝起きに「ボーっ」としているのは、寝惚けているのではない。

 

 悪魔と必死に戦っているのだ!


 

















2009年11月14日(土)

「 アイデンティティの行方 








ジプシーキュリオーサグリーン&アッシュ

立冬になり、信州は秋から冬へと季節は移行する。

 

梨や柿の紅葉した葉が、寒風に舞い落とされ、朱と紅の絨毯を作る。

 

 林檎は、日に日に赤く染まる。

 

 長野県民の県民性は、勤勉、議論好き、頑固だという。

 

 また北へ行けば内向的、南へ行けばのんびり屋の性質が高くなるらしい。

 

ある日、都内のある市場から出荷依頼のお電話をもらった。

 

丁重にお断りしたが、日本で一番大きな市場から勧誘がかかれば悪い気はしない。

 

また先日、あるお花屋さんが、わざわざ遠方より我が家へ撮影に来られた。

 

バラが育っている状態や風景などを撮影されて、色々話をしていった。

 

 その際、堀木園芸のバラの花保ちがとても良いのは何故か?と気分の良い質問を頂いた。

 

 その両出来事を父に話すと、前項に対しては然も面倒臭そうな顔をして首を横に振る。

 

後項に対しては「にやり」とするだけで、質問には応じない。

 

 生まれてこの方、それが父の当たり前のリアクションだと思っている私には、あまり違和感がないのだが、それらは普通であろうか?

 

 もっと愛想良く反応を見せればいいものの、鈍く見当外れの反響音が返ってくるばかりだ。

 

 園主の父が、その反応なので、致し方なく私が蛇足をつけて詳細を説明させて頂く。

 

 父も本当は腹に思う所はあって黙っているのか、それともただ内向的なのか、私にもわからない。

 

 ただ、真夏の灼熱の日中も、冬場の日暮れの暗闇の中でも、朴訥(ぼくとつ)と温室の中で仕事をする姿を見れば、お世辞でも褒めて頂ける事実にはうなずける。

 

 父はあきれる程、長野県民性の全てが当てはまる。

 

 そして私はその真逆である。

 

 血が繋がっていないのかも??

 

 祖父から3代同じ顔なのに・・・。




2009年11月8日(日)

「 ぷるぷる、ぶるぶる 


都会の人から見れば、私の故郷はどう目に映るのだろう。

 

大自然に囲まれた豊かな風土。信州の山並み白く、川波清く。っといったところだろうか?

 

ところが、実はそんなことはない。

 

治水工事の名の下に、私が子供の頃に遊んだ川は、コンクリートで固められ魚はいない。

 

温暖化の影響も助力しているが、雪も少なく、年々ウインタースポーツも低迷している。

 

アパートが増え、核家族化が進み、隣近所の付き合いも疎遠になり、若者は県外に出る者や、残っていても楽しみも見つけられない。

 

正直、わが町には何もない。

 

毎日の様に居酒屋が繁盛しているのが、それらを顕著に表している。

 

しかし、停滞した汚水の中に波紋が生じた。

 

昨年、商店街の方々が閉店した洋服屋の一角を利用して、ジャズライブのイベントを催した。

 

意外な程に大盛況。

 

今年は、「松川町を生(LIVE)で楽しむ」と題して、アーティストを招いての「ジャズ」、松川町出身で音楽をしている若者の「ロックンロール」、また同様にして竹笛やバイオリンの演奏と毎週の様にライブを行っている。

 

 私も昨年、今年と足を運んでいるが、正直驚いている。

 

 普段は、冴えないおじさんも小瓶のビールを片手に歓声を上げ、色気のないおばさんも艶やかに着飾って見違える、心の飢えを潤す様に、若者が目を輝かせて演奏者の手元に釘付けになる。

 

 ベースの低音が、ドラムのキックが、ギターの猛りが、ボーカルのメッセージが、歓声と会場からこぼれる光と共に夜の街に、小さな波紋を投げかける。

 

 それはまるで、息を吹き返した心臓の鼓動の様に。

 

 音楽、美術、芸術の類は、殺伐とした人の心に宿り、形をなす事で何かを癒す。

 我が家のバラも誰かを癒せるだろうか?

 

 私生活で手に入れたエネルギーは、仕事に還元できる。

 

 私もギターの練習をして、生活に彩を加えたい。

 

 夢はでっかく!フジロック、雨のグリーンステージだ!!



 













2009年11月1日(日)

「 Hug 











 1022日に祖父が88歳になった。

 

 週末に子供、孫、ひ孫が集まって米寿のお祝いをした。

 

 祖父は今日この時も現役の百姓だ。

 

 毎朝の庭掃除を始め、梨の果樹園の手入れ、自家用野菜の栽培、雨の日はバラの出荷用の箱を組み立ててくれ、たまにゲートボールに行く。

 

 酒と肉を好み、仕事に没頭する。

 

まさに「堀木の血」を色濃く発揮している。

 

月日は左右してしまうが、祖父の誕生日の前日に、世田谷花き市場で「小さな勉強会(買参人組合)×バラ研究会」が行われた。

 

各種苗会社の一押し品種が所狭しと並べられ、出席したお花屋さんが秀逸品種に投票し、生産者がそれを見て、現場の趣向を伺う。

 

また、合間合間に生産者同士、花屋同士、またはそれぞれが意見や疑問を交わす事が出来る。

 

出席者には大変有意義な会だ。

 

私も引っ込み思案ながらも数人の方と話をしていると、

「この前、堀木君の所のバラを買って、違う花屋と半分コしたんだけど、うちではちゃんと咲いて、彼の所では咲かなかったらしい。バラも人を選ぶのかなぁ」

と言う会話になった。

 

室温、湿度、空調、日当たり、水揚げ手順、花器や水の清濁、様々な環境によってバラの日持ちは変わってくる。

 

こぼれ話の一ネタとして話して頂いたのだが、何やら興味をそそる。

 

と同時に、多少の環境の変化にも耐えうる事が出来る、根性のあるバラを育てたいものだ。

 

祖父が長寿なので、我が家のご先祖様はどうかと尋ねたら、曽祖父もその先代も短命だったらしい。

 

大正生まれで、激動の人生を過ごしてきた筈の小柄な祖父の背中が、醸し出す雰囲気は、けやきの大樹の様にどっしりしている。

力強く、美しく、さりげなく、長く長く、咲くバラを育てたい。

 

満開の笑顔の様に咲く花を。

         


2009年10月28日(水)

「 月見えずとも星探し、星見えずとも闇に酔う 


 タイムリーなネタではないが、1010日に六本木ヒルズにおいて「全国花卸協会」の社団法人化設立記念レセプションが行われた。

 

 我が家のバラもその多くが、市場を経由し中卸によって販売されている。

 

 市場の流通が巨大化していく中で、現場の声や流通の微細な趣向の変化を目の当たりにしている中卸業には、今後の花業界の主軸と成り得ると期待している私は、迷わず出席させて頂いた。

 

 開会すると知己の方々と話をし同時に、会場中央で行われている講演にも耳を傾ける。

 

 私が強く印象付けられたのが、「ブルーオーシャン戦略」についてのお話であった。

 

 現在あるマーケットにおいて、既存のサービスを向上し高コストによって「血みどろ」の競争を「レッドオーシャン」と言い、それに対して将来性の高い未開拓のマーケットを「ブルーオーシャン」と呼ぶ。と言うことだ。

 

 私が就農して早5年目となるが、就農以前から常に思い描いている構想がある。

 

 それは3050代の「男性」に花の魅力を伝える事だ。

 

 もっと言ってしまえば、女性が花を贈られる事にどれ程喜んでくれるかを、青年世代は知らなさ過ぎる。

 

 偉そうに言う私もこの業界で働いているが、女性が何故それ程花を好きなのか理解できない。

 

 一つだけ分かるのが、女性は「かわいい」とか「きれい」なものが、すこぶる好きだということだけだ。

 

 きっと男性が「ガンダム」や「カブトムシ」が好きな理由に似通っている気はする。

 

 基本的に我が家では小売はしていないが、知人や友人に頼まれると断れずバラの花束を制作することがある。

 

 彼らは必ずリピーターになる。

 

 理由の一つは「予想以上に女性が喜ぶこと」で、もう一つは「男の私に頼みやすい」という事らしい。

 

 インターネットによる花ギフトが増えているのも、似た要因ではないだろうか。

 

 かの有名な小説家・夏目漱石は「 I love you 」を「月が綺麗ですね」と和訳した。

 

 慶応3年生まれの彼には、口が裂けても「愛してる」などと言えなかったのだろう。

 

 花業界には好きな子に、「想い」も「感謝」も言えないブルーオーシャンが果てしなく広がってる様に思えてならない。

 

 その未知なる海の開拓はなかなか手を焼きそうだが。

 

 簡単に「愛してる」なんて口にする野郎にロクな奴はいねーよ。













2009年10月25日(日)

「 愛に抱かれて 










「インディーズ」と言う言葉をご存知だろうか?

 

 「自費出版」と言ってしまえば、分かりやすいだろうか。

 

 一般的に良く使われる場面としては、音楽業界で「メジャー契約」をしていないアーティストをさす。

 

 まぁ、メジャーではない存在ということだろうか。

 

 私の偏見かもしれないが、「インディーズ」を支えているファンは、女性ばかりに思える。

 

 もしかしたら、「インディーズ」という金の卵的な存在を、育むとういう母性にも似た行動をとっているからだろうか?

 

 「スタンダード」と呼ばれる一輪咲きのバラは、手入れをして一輪咲きにしているのを、ご存知だろうか。

 

 品種によって異なるが「スタンダード」のバラであっても、バラは上の葉っぱ2・3枚の付け根から、花芽を付ける。

 

 「脇芽(わきめ)」と呼ばれるこの目を取り除いてしまう事で、「スタンダード」にしているのだ。

 

 脇芽の整理をせずに、放置しておくと「スプレー」バラの形状になる。

 

 だからと言って全てのバラが、「スプレー」バラにはならない。

 

 樹形が整わなかったり、輪付きが悪ければ、不恰好になってしまうからだ。

 

 しかし、我が家では「アブラハムダービー」を筆頭に、稀ではあるが、脇芽を1つわざと残している事がある。

 

 元々は「『ボタニカルアート』には必ず蕾も描いてある。」という、あるデザイナーさんの意見を参考にしている。

 

 脇芽が付いている事で、その姿が美しいと私が感じれば、脇芽はとらない。

 

 花を咲かせる事のないその蕾が不必要だと思えば、店頭で取って頂いてもかまわない。

 

 割合で言っても1箱に1本あるかどうか、という程度だ。

 

 「ロックの精神」とは「反骨」ではないだろうか?

 

 「スタンダード(標準)」や「メジャー(有名)」に抵抗を覚える私は、まさにバラ業界の「インディーズ」ではないだろうか。

 

 ありゃりゃ、こりゃーモテちゃうね。

 



2009年10月15日(木)

「 Princess in the mist 


 我が松川町には、一つの伝説がある。

 

 大島城の横を流れる川には、大蛇が住み、しばしば川から姿を現し、霧を吹く。城は霧に包まれると、敵の目を欺き、侵略を防いだ。

しかし、敵の軍勢が大量の矢を川に射ると、川から大蛇が浮かび上がり、霧が晴れてしまった。

城に住む姫は、敵の手に落ちるのを拒み、城の中にある井戸へ金の鶏を抱き、身を投じた。

今でも元旦の朝には、枯れ井戸の中から鶏の声が聞こえると言う。

 

伝説に出てくる「川」というのは、信州が誇る四大河川の一つの「天竜川」である。

 

当時、城を守っていた大蛇は、殺されてしまったが、うわばみの子孫がいるのか、怨念なのか、松川町は頻繁に、霧に包まれる。

 

「川霧」と呼ばれるこの霧は、山で冷やされた空気が、暖かい川の水によって飽和状態になり発生する。

 

段丘の下から山の方へ迫ってくる霧を見ると、本当に大蛇がいるのでないかと思ってしまう。

 

秋雨が晴れれば、放射冷却の影響で、朝は一層寒くなる。

 

我が家の温室は、徐々に冬支度だ。

 

少し前から焚いている暖房機に加え、温室の側面にも2層カーテンを取り付け、天井面には2層、温室によっては3層カーテンを閉じて、断熱効果を高める。

 

天井面のカーテンは、雨が降って寒い日や遮光の為に周年利用するが、側面のカーテンはこの時期に取り付けて、5月になると取り外す。

 

これから更に厳寒期には、プチプチカーテンをつけて3層にしたり、温室の外壁にもビニールを取り付けて、バラを守って行く。

 

まるで、温室が着膨れて行く様だ。

 

朝、霧隠れする温室に辿り着くと、その中は季節外れの美しい花が咲いている。

 

何やら伝説とオーバーラップする。

 

初めて伝説を耳にした小学生の時、金の鶏欲しさに井戸に入ろうとして、先生に怒られた。

 

目的の為に、身を粉にする。

 

その精神は素晴らしい。








2009年10月5日(月)

「 鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも 







ワンダーウォール






 もう三十路も近いというのに、気を抜くとニキビが顔に出来る。

 

 肌と気が弱い私は、この時期、肌の乾燥もひどい。

 

 育種家とは到底足元にも及ばないが、我が家もオリジナル品種育成を少々行っている。

 

 我が家のオリジナル品種の名称は、そのほとんどが楽曲のタイトルを付けている。

 

 例外はあるが、ロックンロールで、男性ボーカル、ラブバラードの楽曲をリストアップしておいて、バラの花色や形状、雰囲気、特質で合っているものを選び出す。

 

 我が家のバラに様々なご意見あるだろうが、親バカをわきまえた上で言わせてもらえれば、「ワンダーウォール」は最高のバラだと思う。

 

 紅茶にミルクを混ぜている途中の様な色合いに、可愛らしい丸弁の花形、花保ちもいい。

 

 最初に花を咲かせた時に、一瞬で「このバラは『ワンダーウォール』だ。」と稲妻が背筋に走った。

 

 「ワンダーウォール」と言うのは、イギリスのロックバンド「oasis」の不朽の名曲である。

 

 「Wonderwall」は造語で、「終着駅」「終着点」と和訳されているが、「君は僕の終着駅だ」と、切ない声で歌うボーカルのリアム・ギャラガー(弟)の声はたまらない。

 

 ところが、最近「oasis」の2枚看板であったノエル・ギャラガー(兄)が兄弟喧嘩の末、脱退してしまった。

 

 ノエルが歌う「ワンダーウォール」も好きだったのに・・・。

 

 正直ショック!・・・マジショック!!である。

 

 人生は色々な分岐点が存在するが、もう仲の悪いあの兄弟の美しいハーモニーが生で聞けないと思うと残念でならない。

 

 何やら我が家の「ワンダーウォール」も切ない感じを帯びて、益々妖艶だ。

 

 人生という「道」の中で、終着駅にあたる人に「ワンダーウォール」を贈ってほしい。

 

 「oasis」はバンドの分岐点、私はお肌の曲がり角。